昨日は「カレッジ〜」の昼公演の後、「ラン・フォー・ユア・ワイフ」の稽古場に急いででかけました。この日も読み合わせでした。いやぁ、ベテランの方ばかりなので刺激をいっぱいいっぱい受けています。キャラメルボックスでは読み合わせというのは一度くらいしかやらないので、こうして何度も何度も読むことはとても新鮮ですし、耳からの刺激が想像力をたくさんかきたててくれます。
おいらは日本でお芝居をやっているわけですから、台詞は当然日本語を使うことになります。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、これがなかなかの難物なのです。つまり、美しい日本語を使うことはとても難しいことなのです。加藤健一事務所のお芝居を初めて見たのは大学生の頃でした。恐らく「セイムタイム・ネクストイヤー」だと思うのですが、その時一番驚いたのは、お芝居の面白さや役者さんの自在さもさることながら、「日本語の美しさ」なんです。
役者という存在は言葉を吐くことによって、なんらかの感情を伝えていくのが仕事です。その仕事の繊細で巧妙なことに、それこそひっくり返るほど感動したのです。
人は、言葉にはできないけど「〇〇な感じ」という感情をたくさん持っています。例えば、悲しいことがあった時、胸に穴が開いたように感じることがありますよね。あれって、どうやったって感じている全てを言葉で伝えることなんかできませんよね。人それぞれ微妙に違うわけですし…。ところが優れた役者には、それをある台詞を話すことによって再生することができるのです。
お客さんは、自分の体験に照らし合わせてお芝居を見ています。要するに、共感できるかどうかが問題なのです。失恋した本当の苦しさを、お客さんは実感として知っているのです。ですから、舞台上でいくら嘘をつかれても絵空事に感じてしまうでしょう。だから、役者は本当に感じていなければならないのです。
ちょっと話がそれました。で、日本語です。役者は感情を伝えると言いましたが、そのためには日本語を使わなければならないのです。ということは、どのように話すかが大事なわけです。その頃のおいらは、それは台詞術の上手下手なんだろうと思っていました。つまり、上手な役者さんだけにできることなんだろうと。ひいては、自分には才能がないから一生かかっても出来ないことだろうと思っていました。
でも、ちょっとだけ違うんだということが段々分かってきました。それは、自分の心を静かに見つめて話すということなんです。そして、同時に回りの人の言葉から、その心を静かに、優しく感じなくちゃいけないってことなんです。それができなくては、人の本当の気持ちを理解し、表現することはできないと分かってきました。なぜなら、いい役者さんはとてもよく相手の変化を見ているのです。
その訓練は日常からできることです。自分のいろんな気持ちを感じ、理解すること、そして、回りの人の気持ちを感じることです。ということは、演技をする時には普段の自分が普段しているくらいの感情は表現できるはずなのです。
あぁ、なかなか日本語の話になりませんね。
つまり、日常から。「美しい日本語」を話す習慣をつけることが必要なのです。そして、その言葉が表現している微妙な感情の変化を感じることで、「本当の感情」というものを理解できるようにするのです。
やや抽象的な話になってしまいましたが、例えば方言には、その言葉でしか表現できないものがありますよね?「おおきに」とか「がってんだ」とか「なんばしよっと」…などなど。他の似たような言葉ではちょっと違うということが分かるでしょう。
ですから、「美しい日本語」と「美しくない日本語」とでは表現している感情が違うのです。「疲れた」と「超だりーぜ」は全然違うでしょ?
今日からでも簡単に始められますから、どうですか?